続・新年ストーリー②
昨日の続きです。
私達には指導してくれる指導者が居ませんでした。なので本屋や図書館で軟式(ソフト)テニス練習法などを読んで練習を組んだりしたのですが…今のインスタ等での練習動画などもそうですが、動画の選手には『ちょうど良い』練習ですが、見てる人には難しい練習だったり、その前段階の技術がないと逆に遠回りだったり。上手い選手は練習レベルを下げても、下げた練習の中でコースを絞ったり打ち方を意識したりレベルを上げることが出来ますが、上手くない選手がそれなりの技術がないと出来ない練習をすることは出来ません。逆に出来ないことを悩んだりしてしまうかもしれません。なので指導者が選手やチームを観察して今のレベルに最適な練習やコーチングが出来れば、上達速度は早いと思います。
とにかく、私達には指導者が居ないので、私は最適解が分からないまま他の学校との練習試合前の練習や中学の恩師に聞きながら練習を組んでいました。そんな時に、いつも部室の出入口に『のれん』があったのですが、ソコに『全国高校体育大会(インターハイ) 団体戦出場記念』と書かれた中に愛知県代表で母校が書かれているのを見て、『この先輩達にお願いしよう』と思いました。
今ではあり得ない個人情報ですが、いつもの職員室に行くと先生方が「おっ菱田、また練習試合の電話か?」「違います。10年くらい前のテニス部の先輩に連絡したいので卒業アルバム見せてください。練習見てくれて教えてくれる人を探してるのでお願いします」と頼むと先生方も「ちょっと待ってろよ」と一緒に探してくれました。特にハンド部の先生がいつも応援してくれたのを良く覚えてます。ハンド部はテニスコートの隣にあったのですが、ハンド部と野球部の顧問の先生が「オマエたち凄いなぁ」とコートのフェンスに寄りかかって見てくれてました。
話は逸れましたが、私たちにとってレジェンドを見つけ家から電話しました。(学校でも電話しましたが、皆さん社会人でしたので繋がらず)
殆どの方は「仕事とか忙しいからごめんな」でした。ですが今の状況を聞いてくれたりその場でこんな練習していたぞと優しく応援の言葉をかけてくれたのを忘れることが出来ません。今の私のスカイハイの原点になってるかもしれません。
その中で一人「行っても良いぞ」と言ってくださった方が居ました。「ただし、オマエみたいに素直にオレの言葉を聞けるならな。高校卒業して数年指導しに行ってたけど、オレが不愉快に感じる言動があってから行くのを止めた。オマエたちがそんな態度を見せたら直ぐに止めるからな」
「ありがとうございます!そんなヤツ居たらマジ殴ります!」「いや、オレは暴力反対だから」「すいません、絶対何時間でも説教します!」「分かったから笑」
この方が、皆さんの中にも知っている方が居ると思いますが『林さん』です。
林さんが練習に来てくれる前に仲間達を集めて伝えました。
自分達で考える練習では全国行けない。理由として
①直ぐにゲームや形式とかして自分が気持ちの良いプレー(思いっきり打つだけ)しかしない。
②基礎が出来てないメンバーより中心メンバーの都合の良い練習になってしまう。
③指導してくれる人が居ないから、コツも分からない。練習が雑になる。ダラける。
他にも話したと思います。他の高校の先生に指摘されたことも伝えました。
また、練習試合でどこの高校に行っても、最後の挨拶で相手の先生から『後衛がレベルアップすれば恐ろしいチームになる』『後衛が弱い珍しい高校』とか毎回後衛が凹むくらい言われていたので林さんは後衛で団体も個人も全国に行ってる。俺はゲーム展開やここに打って欲しいは言えるけど、今は誰にもそう言えない。出来ないことを頼んで調子が崩れると思うから。だけど、みんなが上手く強くなったなら言える。
最初は地味な練習かも知れないけど、不満やグチは俺に言えば伝えるから直接態度や言葉にせずに先ずは信じてやって欲しい。お願いだ…と頼みました。
みんな、特に同学年の後衛達は自分達がいつも言われてるのを私以上に感じてたので、「ちゃんと聞くよ。イヤ絶対守るよ。」「後衛ヘタってもう言われたくない」「俺たちが強くなれば全国近づけるんだろ。教えに来てくれる大先輩が居るのに嫌がるヤツなんて居ないし、居たらぶん殴ってやるよ」「イヤその人暴力反対だから(同じ思考か笑)」
そして林さんが平日の夕方遅くや、土日の空いている時間に来てくれて指導してくれるようになりました。今でも感謝を忘れたことはありません。本当に基礎から始めました。最初はみんなもこんな練習意味あるの?今さら1本打ちに1時間?乱打の方がたくさん打てるじゃん。練習がつまらない。そうボヤくヤツも居ましたが、そんな態度を見せたものなら私がキレまくりましたし、一生懸命やっている私と同級生(イクちゃんとかブーちゃん)が「じゃあ練習やらずにどっか行け。邪魔だ。お前がサボってれば俺が一球でも打ってコツをつかんで上達するから」ってキレるよりも強い覚悟で言ってたし、後輩には「お前らには分からないよ。菱田がもったいない。ニシを活かしきれてないって言われる悔しさが」ってな感じでした。
とにかく、私たちが本気だったので林さんが頼んでくれたのか、前の電話の後で気になったのか他にも何人かレジェンドの方々が時間がある時に来てくれるようになって、テニスから離れて全然上手くなくても言葉で説明してくれてやれたのが本当に良かったです。
その頃は競技人口も多く、殆どの高校に軟式テニス部があり、尾張地区大会は500チーム弱が参加して2日間で9試合か10試合しないと決勝いけないし、県大会に出れるのはだいたい今と同じ12~14チームくらいでした。その中で私達の高校は最初は3チームくらいが県大会でしたが、一番多い時は7チーム、最後のインターハイ県大会には5チームが出場しました。これは本人の努力が一番ですが、林さんをはじめ指導してくれた大先輩や練習試合を受けてくれた他校の先生のおかげです。
ちなみに、1つ下のニシの時代には練習試合のお願いをしなくても相手から連絡があったそうです。
私達も春には怖いダークホースと言われていたのでうちの高校まで来てくれる学校が増えてきました。
今でもみんなで会うとネタになっているのが本当にたまに来る顧問の硬式テニスをしていた先生が、こちらの高校でやる時には居てくれるのですが、私達が勝率も圧倒して強かったので、相手の高校の先生にもご満悦に色々と話して居るのですが…練習試合終わった後に前にも書いたような気もしますが、どこからかホイッスルを持ってきて「おーいコートの端から端までダッシュやるぞ~」とピッ「次」ピッと軽快に笛を鳴らしてみんなでダッシュしてました。
「おいっ誰か止めろよ」「いつもの練習みたいな空気出すなっ」「言うのはキャプテンの仕事だろ」「もう動けないよ…」「先にやるって言ってくれたら最後にあんなに乱打しなかったのに…」「死ぬって、腹減って死ぬって」って不満爆発してましたが…
「相手高校のやつらマジか…って驚いてるぞ」「三重の高校はこうやって相手の心を折ってたんだ」
「そんなわけあるかっ」「対戦した時にダッシュしてるから勝てんなんて思わん。俺は絶対思わん」
何がスゴいってみんな文句言いながらちゃんとダッシュしてたってところですね。
あの頃は本気で全国目指してたって話でした。
今年のブログは大会前までにしよう。
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